シンデレラストーリーになるまで

信じていれば夢は叶う。

私とよさこい②

※前回の続きです。当時私は小学生だったので何が起きていたのかははっきり分かりませんでしたし、今でも知らないままのこともあると思います。そのため、周りの空気を察して感じ取ったことと、後日母が教えてくれた内容を合わせて分かったことだけですが話していきます。

 

 父の「よさこいやめろ」という要求が始まりましたが、すぐにやめたわけではありませんでした。なんだかんだでふわふわと流してしばらく続けていました。よさこいの練習は週に1回夜の時間に行われていたのですが、父は仕事の都合上その時間にはもう就寝していたので、こっそり行けないことはなかったのです。しかし、やめたという事実がない以上、母は永遠に責められていたのでしょう。毎日のように夫婦喧嘩になってました。そんな時に母に言われた言葉を覚えています。

「やめたくないならそうお父さんに言われ。」

言えるならとっくにそうしてる。

「ちょっと勇気出してさ。」

その勇気が出ない。

「せめて学習発表会だけでも出たいって言ってみたら…?」(母にはよさこいに憧れ始めたきっかけである学習発表会のステージのことを泣きながら話していました。)

そんなこと、怖くて言えない。

 わざわざ学校に行き、校長に会って「なぜ学習発表会でよさこいの演舞があるのだ!それなら野球クラブなども見せ場がいるだろう!」という旨のクレームをつけに行ったと聞いていたからです。(父が自分で自慢げに語っていた気がする…「言ってやったぜ!」みたいな感じで。頭おかしい。)

 今考えても信じられない。恥ずかしい。父は頭に血が上ると多方面に怒りを撒き散らす節がありました。キレたあの人に、何を言っても無駄なのです。

 

 母は、子供がやりたいことはできるだけさせてあげたいという考えをもってました。今思えば、闘ってくれていたのだと思います。それでも、怒鳴る父に萎縮し、立ち向かう勇気のない私。意見を言うことが全くできない子に育っていました。

 

 結局、闘うことに疲れてしまった母に連れられ、私はよさこいの練習に、最後の挨拶を行くために向かいました。

 体育館に入り、母が事情を説明し、リーダーが私のもとへ来ました。あまりにも不本意すぎる結果に、顔を上げることができず、ただただ涙が溢れてきました。そんな私を、リーダーは抱きしめてこう言いました。

「ごめんな!なんもしてあげられなくて!やめたくないよなあ!」

 女性で、親くらいの歳の人で、テンションが高い人だったので、当時は怖いというイメージだったのですが、その温かさにさらに涙が溢れました。

 やめたくなかった。本当にやめたくなかった。憧れのステージに立ちたかった。全校のみんなの前で踊りたかった。

 今思い出してもその当時の感情が込み上げてきて、苦しくなります。

 

 よさこいをやめた私に、父の放った言葉を、私は15年経った今でも忘れません。

よさこいなんていつでもできる。お前がどうしてもやりたいと思うなら、大人になってから好きなだけやればいい。」

 

??

かっこよく決めたつもり?何それ?

当時は泣いて頷くことしかできなかった私ですが、心には爆発しそうなくらいの思いでいっぱいでした。

 

違う。私がよさこいを始めたのはもうすぐある学習発表会を観て憧れたからだ。憧れのステージなんだ。来月あるのに。それは大人になってからできることではない。

今このメンバーとできるのは今しかないのに。

学校外で仲良くなった友達とも会えなくなってしまう。せっかく仲良くなったのに。

 

 …と、そんなこんなで、小学校中学年の頃、私とよさこいは、ここで終わってしまいました。

 

 

 

 

(何やら悲しいところで終わりましたが、次もあるので読んでいただけたら嬉しいです。)