シンデレラストーリーになるまで

信じていれば夢は叶う。

母①

 今回は母との話がメインです。

 

 小学生の頃、私は母が大好きでした。母は毎日のように父からの怒声を浴びながらも、私たちの前では立派な母でした。弱音を吐くこともなく、涙を見せることもなく、いつも冷静に私たちを守ってくれていました。

 しかし、今思えばそんな母も大丈夫だったわけがないのです。思い返せば、さまざまな逃げ方をしていたのだと、今は分かります。

 

 ある時は、子供部屋。

 ある時は、友達の家。

 ある時は、実家。

 

 そうでもしないと、おかしくなりそうだったのでしょう。

 

 今でも覚えているのが、みんな同じ家にいるのに、別世界で過ごしているかのような時がありました。

 実家には2階が2つあり、1つは両親の部屋、もう1つは子供部屋になっていました。子供部屋は私が小さい頃は使っていなかったと思うのですが、父とうまくいっていない時に母はその部屋を使って、私たち兄弟も一緒にそこで寝ていました。

 今思えば、「どんな状況よ!」とつっこみたくなるのですが…。でも私は、そこで母と過ごす穏やかな時間が好きでした。部屋の電気を消して、スタンドライトの光の中で本を読んでもらったり、ぬいぐるみで遊んでもらったり、母が作る手芸を見ていたり…。ホッとするような時間でした。その時間がぶち壊される瞬間もありました。突然したから父の怒声が聞こえてくるのです。

「どこに逃げてる!」

「そんなところに隠れやがって!」

 なんと怖い言葉。鬼か何かなんでしょうか。笑 穏やかな世界がぶち壊される瞬間が、一番辛かった…。

 

 また、時々母は「家を出る」と私たちに伝えてくることがありました。その度に私は、金輪際この家には帰ってこないかのような気持ちで、家出る準備をしていました。不思議と嫌だという気持ちはありませんでした。小学生のときにする家出の準備って、面白いですよね。何を準備したかって、お気に入りのぬいぐるみや、お気に入りのレターセットとか、非実用的なものばかりでした。笑 きっと小学校の友達に会えなくなるかもしれないから…という気持ちだったのでしょう。こんな時から、何度もそんな思いをしていたんだな…と悲しくなります。

 

 でもいつも結局、母のもとに父からの怖い電話がかかってきて、引き戻されていました。

 

 友達の家に逃げたこともありましたが、小学生の私にとってはとても楽しいひとときでした。友達のお母さんも、理解してくれて、かくまってくれていました。今思えば本当にすごいこと…感謝しかないです。

 

 「家以外にいたい」「家以外の方が落ち着く」

 当時はそんな気持ちでした。家が落ち着く場所だなんて、思えるようになったのは実家を出た後のことです。

 

 母は静かな場所で落ち着けると、決まって私たちに話をしました。いろんな話をしてくれたと思いますが、決まっていうことがありました。

 

「きっとお父さんは何かに取り憑かれているんだよ。」

 

 当時は私も本気でそう思っていました。いや、今でも少し思うかもしれません。でも、今ならまた違う視点で思うことがあります。母はよほど弱っていたのだと。

 

 そう思うひとつに、母はよく、おまじないの唱え方やお守りを肌身離さず持つことを教えてきました。当時は何も分からずに聞いて、それを真似していましたが、大人になって考えてみたらあれは一種の宗教だったのでしょう。

 いつからやらなくなったかは忘れましたが、私は母と離れることになった後でも、そのおまじないを呪文のように唱えていました。

 不安になった時、困った時、怖い時、助けてほしい時…。

 

 私も何かにすがりたくて仕方がなかったのでしょう。