シンデレラストーリーになるまで

信じていれば夢は叶う。

憧れの主人公

 小学生になっても家庭環境は相変わらずでした。変わったことといえば、心も体も成長した私が、家庭環境に生きづらさを感じ始めたということでしょうか。年々しんどく感じてましたね…。

 

 そんな頃、私は心に深く残る漫画と出会いました。小学校低学年の頃の話です。

 それは、高屋奈月さんの「フルーツバスケット」という少女漫画なのですが、出会いはアニメで、どハマりしてました。その後すぐに、漫画があることを知った私は母と本屋に行きました。そして本屋で漫画を見つけた時、当時の私には不思議に思うことがありました。

私「アニメは26話までなのに、漫画は24巻までしかないよ。」

母「1巻に6話くらい入ってるんだよ。だから26話どころか、100話以上あるんじゃない?」
 衝撃でした。アニメのその先があるってこと!?と、とてもワクワクしたことを覚えています。初めて買う漫画だったので、そういうことも初めて知った瞬間でしたね。

 

 さて、「フルーツバスケット」の何がそんなに私の心に残ったか、なんですが、一言では言い切れないんですけど、とにかく主人公が素敵なんです。どんなに苦しい状況にも、優しさ、笑顔、感謝を忘れない。(どこか「シンデレラ」っぽさも感じますね。)その主人公の姿にとても憧れたんですよね。小学校低学年なんて単純ですから、もうまんま受け止めて、まんまそうなろうとして、見事に私はどんな時でも笑っている子になりました。逆に笑いすぎキャラになってしまって、透くん(主人公)とは別人になってしまったような気もしますが…。笑

 でも、嬉しいことに周囲からの評価が、自分が思い描いていた通りになったと実感したことが何度もあります。

 

 中学に上がって、家庭状況をカミングアウトした友達に言われたこと。

「そんな大変な思いしてるとは思わなかった…。毎日笑ってたし…。すごいね。」

 大人になってから友達のお母さんに救われた時に感謝の思いを伝えた時に言われたこと。

「どんな辛い時でもニコニコして頑張ってきたあんたを見てきたからだよ。」

 

 こういった一言一言が、「頑張ってきてよかった。」「ちゃんと見てくれている人がいる。」と、温かい思いにしてくれました。本当に、周りに助けられ、育ててもらって今日があります。

 

 どんな状況でも生き抜いて、今日までやってこられたエネルギーの1つに、この何かや誰かに対する「憧れ」があると思います。「こうなるんだ。」「あの人みたいに笑顔で乗り切る私になりたい。」そうやって生き抜いてきたな、と振り返って思います。

 そんなわけで、今でも「フルーツバスケット」は私にとって1番の漫画です。何度同じシーンを観ても泣いてしまう…。この出会いを振り返るたびに、人と上手くいかなくても、こうした物との出会いの中で救われることも多々あるのではないか、と思います。辛い人生の中にも至る所に希望の光はあるのでは、と。

 

 

 今回は、家族の話というよりも私自身の話でしたね。毎回家族の暗い過去だけでなく、こういう回も時々あるということで。

小さい頃の記憶②

 前回に続き、幼稚園生だった頃の記憶を辿ってお話しします。

 

 幼稚園生の頃に住んでいた場所についてです。どういうこと?って感じなんですけど、多分、母の実家に逃げ帰っていた時期があるんですよね。実際に、大人になってから住民票を見た際、本籍を母の実家に移していた形跡を確認しましたし。

 …なんともよく分からない幼稚園録なんですけど、ここから少しだけ明るい話になるのでもう少々お付き合いください。

 母の実家は、近くもないですがそう遠くもなかったので、幼稚園にはいつも通り通っていました。でも、迎えに来る人がバラバラだったんですよね。(いつもの家にいる際にはほぼ祖父が迎えに来てくれていたと思います。)毎日、どんな気持ちで迎えを待っていたかはあまり覚えていないのですが、ひとつだけ、「大好きなお兄ちゃん」を待っていたのは覚えてます。「お兄ちゃん」と言っても実の兄ではありません。(3歳上なので迎えに来られないです。笑)母方の、おじさんというのが正しいのですが、当時若かったのでおじさんには見えず、「しんちゃん」と呼んでいました。

 しんちゃんはよく遊んでくれ、とても面白い人でした。幼稚園の玄関にしんちゃんが現れた時のことは、今でも思い出すことができます。先生に

「あちゃちゃんよかったね〜!今日はかっこいいお兄さんがお迎え?」

と言われ、照れながらも自慢げに帰ったなあ。

 先生の一言って、何気ないんですけど大事なんですよね。心が温まったり、救われたり…。それを実感した忘れられないエピソードがあるので、最後にそれを話して終わろうと思います。

 

 年中の頃の話です。とても鮮明に覚えてます。

 両親の喧嘩、怒鳴り声、住む場所の変化…精神的に不安定にもなっていたのでしょう。幼稚園にいる間になんだかとてつもない悲しさに襲われました。その悲しい気持ちに浸り、隅っこのロッカーの前で座って、泣きそうになりながら巾着の紐を結んでいました。すると頭の上から

「あら〜!あちゃちゃん!リボン結び上手ね〜!!」

という声が。

 先生の、なんてことない一言。でも、当時の、その瞬間の私にとっては、闇から救い出してくれた天使の一声でした。その声を聞いた周りの園児たちが集まってきて、1人で沈んでいた暗い空気が一気に明るくなりました。

「ほんとだ!じょーずだね!」

「れんしゅうしたの?」

「どうやったの?もういっかいやってー!」

 次は嬉しさで泣きそうになってしまいました。

 

 何先生だったか、名前は覚えていないけれど…。


 先生、私ずっと覚えています。その瞬間も救われたし、この温かな思い出に今日まで何度も救われました。ありがとうございます。


 そう伝えたいですね。きっとその先生は私にそう声をかけたことすら覚えていないと思いますが、私にとってずっと大切な記憶です。

小さい頃の記憶①

 前回もお話ししましたが、まずは私の家族の構成を話します。

 私は、父、母、祖父、祖母、兄と共に暮らす6人家族でした。

 「でした」という言葉にあるように、そう、過去の話です。ここから徐々に減り…今ではそれぞれがどうしているのかさえ分かりません。…なんか怖い話のオチみたいになったな。笑

 

 タイトルにあるように、今回は小さい頃…幼稚園生くらいの頃の記憶を辿ってお話しします。

 幼稚園生の頃の記憶で覚えているのは…そうですね、ガラスの灰皿が飛んできたことかな。笑

「〜かな。笑」で話すことではないような気もするけど、なんかもう今思うと信じられなくて笑っちゃいます。他にも実家にいる間はいろんな物が飛んできたなあ…まあ、それはまた追々。

 灰皿は、当てようとして投げた物ではなかったと思いますが、母にイラついた父が投げた物です。何の喧嘩だったんだろう。幼稚園生なので記憶が曖昧なのですが、長い間1階に戻ってこない母を探しに行き、その修羅場に乗り込み、「どうしたの…?」と純粋な気持ちで聞いた記憶があります。終始俯き加減の母に「下(1階)に降りてて。」と言われたなあ。

 あ、そういえば箱ティッシュも飛んでたな。自分でも驚くんですけど、よく覚えていますよね。こういう自分の記憶が蘇る度に、小さな子の前でも下手なことはできないなと思います。

 

 それから、自分のことで喧嘩になっていたこともありました。

 幼稚園のぶどう狩りについて、ってことしか覚えていないのですが、何だったんだろう。たぶん、母の連絡不足かなんかで、「そんなの聞いてないぞ!」みたいなやつかな。「いや、そんなことでいちいち声を荒げるか?」と、思うと思います。私も思う。でも、それが父でした。

 どんなに小さくても自分に関することで揉めてるということは分かったようで、「みんなとぶどう狩り行けないのか…。」(←そこ?)と、悲しくて静かに泣いた記憶があります。でも母は、怒鳴り散らかされた後に私の元へ来て、「ぶどう狩り、行けるからね。」と言ってくれました。あの頃の母は本当にかっこよかった…。(「あの頃は」と付くのには理由があります。それもまた追々。)

 そしてその後、ぶどう狩りには行ったのですが、行った当日の記憶はないのに、行った際に撮った友達との写真をよく眺めていたことは覚えてます。笑 子供ながらに、行けたことを奇跡のように喜んでいたのでしょう。

 

自己紹介

 初めまして。まずは簡単な自己紹介から。

 家庭に恵まれず、DV環境で育った20代女です。

 

 我ながら、スタートからなんという紹介なんだ…。すみません。この時点で、

「家族についてそんな言い方をするなんて!」

と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。でも、世の中にはこんな人もいるんだな、くらいの気持ちで読んでいただけたと思います。

 

 怒鳴り、物を投げ、物を破壊する父親。静かに正座してそれを堪える母親。

 見て見ぬ振りをする祖父。ボソボソ文句を言いながら父親の肩をもつ祖母。

 自己中心的で考えなしの兄。

 私から見た家族はそんな印象です。私はというと、ただひたすらに父親が機嫌を損ねないようにして過ごしていた無力な人間でした。

 

 10代の頃から、「どうしてこんな人生なんだろう…。」と自分の置かれた環境を何度も憎み生きてきました。今でも時々そう思うことがあります。しかし、同じくらい周りの温かさを強く感じていました。家族以外からの優しさに、愛に、何度救われてきたことか…。

 

 それにしても波瀾万丈すぎるこの人生。でも、「だからこそ、感じとることができた幸せがあるのかもしれない。」「人より語ると面白い人生なのかもしれない。」そんな思いでブログを始めました。

 文才も語彙力もないと思いますが、温かく見守っていただけたらと思います。

 よろしくお願いします。